大判例

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広島地方裁判所 昭和60年(タ)18号 判決

原告 マリソン・ソンフォン

被告 サムプラシック・チャンパサク

主文

一  原告と被告を離婚する。

二  原告と被告の間の長男サムブラシウス・ソンフォン(1972年7月14日生)、二男サムプラソン・ソンフォン(1974年5月13日生)、3男サンマコン・ソラフォン(1976年5月1日生)の親権者をいずれも原告と定める。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一原告は主文第一、二項同旨の判決を求め、請求の原因として次のとおり主張した。

一  原告の生育歴

原告はラオス国籍を有し、1950年1月22日同国ホン・サリー県モン・クア市において、父ロン・ソンフォンと母クンプア・ソンフォンの長女として出生し8歳で○○○・○○○○学校(6年制)に入学し、13歳で卒業したが、その後私立の3年制学校に入学し、2年生のとき父と将来の方針が合わず退学した。その後ビエンチャンのおばの家に移り、近くの日本語学校に1年近く通つて日本語を勉強しているうちおばの知人の日本人某に勧められて、看護婦の資格を取るべく来日した。

原告は1967年(当時17歳)に来日し、天理市の○○○教会に滞在し、まず○○大学日本語専科で1年半日本語を学び、のち○○病院で看護の勉強を始めたが、滞在期間中に学業を終えることができないことがわかつたので、名古屋で1年間英文タイプと料理の勉強をした上、1971年3月帰国した。

二  原被告の婚姻

原告は天理市滞在中に、ラオスの大学を卒業後○○大学日本語専科に留学していた被告(1948年月日不詳生)と知り合い、互いに結婚を約束した。被告は原告より早く帰国していたので、原告帰国直後の1971年4月、ラオスの慣習に従い結婚式を挙げた。

右原告、被告の婚姻の成立についての準拠法は法例13条によつてラオス法であるが、右1971年当時有効であつた1927年民法(以下ラオス旧民法という)所定の要件を充足しておりその婚姻は有効に成立したものである。

婚氏共通は必ずしも励行されていず、原告は婚姻後も生家の氏ソンフォンを称していた。

三  子の出生

原告、被告間には次の三子が出生した。

続柄 氏名 生年月日 出生場所

長男 サムプラシウス・ソンフォン 1972・7・14 ビエンチヤン

二男 サムプラソン・ソンフォン 1974・5・23 同

三男 サンマコン・ソンフォン 1976・5・1 同

四  婚姻破綻に至つた事情

1  原告、被告は婚姻後ビエンチヤン市に居住し、被告は市の○○局に事務職員として勤務していたが、友人達と酒を飲んだり賭けトランプをしたりして、給料をほとんど費消してしまうので、原告は日本人観光客の相手のガイドをして収入を得ていた。そのうち被告はベトナム人女性某と親しい交際をするようになつた。

2  1975年12月の政変後、市民の経済生活は苦しくなつた。インフレのため被告の給料だけでは生活できず、原告も割のよいガイドの仕事ができなくなり、中流階級や知識階級の人々は連行の上強制的学習をさせられた。原告の父も連行されて健康を害した。また、子どもたちが大きくなると兵隊に取られ、山の方へ連れてゆかれるとの噂が広がつていた。このような経済的困難と心理的不安から、ビエンチヤン市民は続々と国境に沿つて流れるメコン川を渡り、対岸のタイ国へと命がけの脱出を行つたのである。

1976年12月に、まず被告の父母が脱出したが、このとき長男を原告に無断で連れ出し、同伴した。次いで同じ月のうちに被告と二男、原告の2兄とが連立つて脱出した。原告は幼い三男と2人取り残されてしまつたが、何とか後を追いたいと思い、1977年5月頃夜メコン河を船で渡り、脱出して、タイ領のノンカイ難民キヤンプに入つた。

3  同キヤンプで家族が再会し、しばらく共同生活をしたが、同年12月夫の愛人だつたベトナム人女性も同じキヤンプに来ていることがわかり、また原告自身2人の親密な関係を実見した。親族立会いで話し合いを行い、原告が被告に対し「好きなようにしなさい」といつたところ、被告は身の廻り品を持つて愛人の室へ移つた。以後原告、被告は全く没交渉であり、事実上の離婚状態となつた。

4  その後被告とその家族、および愛人は、原告らよりも早く同キヤンプを出て、オーストラリアに移住した。オーストラリア国内のどこに落着き居住しているかはその後音信不通のため不明である。

5  原告は同キヤンプに2年半滞在し、移住受入れの順番を待つていた。始め移住先としてフランスかアメリカを希望していたが、希望者が多く、そのうち1979年日本が難民受入れを決定したので、日本移住を希望し、在タイ日本大使から渡航証明書の交付を受け、3人の子とともに同年9月28日大阪に到着、入国した。現在、全員が在留資格4-1-16-3を認められている。

五  現在の家族的生活と親族の状況

1  原告と3人の子は入国後ひとまず天理市に落着き、3か月後姫路市の姫路難民定住促進センターに移つた。幼児がいるため就職先きが見付からず困つていたところ、○○町の某婦人が子どもたちを引取つてくれることになり、その近くで職を探したところ、昭和55年4月株式会社○○製作所に就職することができた。

2  同社に勤務中、原告は同社社員吉村正人と知合い、昭和59年4月8日結婚式を挙げ、以後表記住所において事実上の夫婦親子として共同生活をしている。

3  原告の父母および2兄とその家族は、ノンカイ難民キヤンプからフランスに移住し、現在トノン・レ・ボアン市に居住している。長兄とすぐ下の弟はまだラオス国内に残つているが、妹は同キヤンプを経てカナダに移住し、2番目の弟(ラサム・ソンフォン)は原告とともに日本に移住し、現在島根県大田市に居住している。

4  このように、原告は出入国管理及び難民認定法に基づく難民認定こそ受けていないものの、事実上はまさしく故国の政変により国外流亡を余儀なくされた難民であり、いわゆるベトナム難民と全く同一の境遇にある。原告の親や兄弟姉妹が右のように難民キャンプを経て世界の難民受入れ国に四散していること、原告らが、正規の旅券によらず、日本大使館の渡航証明書により来日したこと、入国後出入国管理及び難民認定法4条1項16号所定の「法務省令で特に定める者」として在留を認められ、在留期間(3年)の更新も原則として認められるという特別扱いを受けていること等の事実は、すべて原告と3名の子の難民性の法的表現と見られるのである。

5  原告は、タイ出国当時すでに被告とは協議離婚したものと信じていたので、右吉村正人との結婚に応じたのであるが、町役場で前婚不解消を理由に婚姻届を受理してもらえず、そこで始めて問題を認識した。原告は今後同人および3人の子とともに日本で居住するつもりであり、同人ともども正式な法律婚を希望している。

以上の次第であるので、原告、被告は今後婚姻共同生活を回復する見込みは主観的にも客観的にも皆無であり、その婚姻は完全に形骸化している。

6  ラオス旧民法は離婚について次のとおり定めている

第23条離婚は、左の理由に基づきこれを行うことができる

(略)

3 配偶者の一方が他方に対し、または配偶者双方がたがいに責を負う暴行虐待または重大な侮辱

(略)

5 婚姻によつて約諾した妻および子を適当に養育し扶養する義務を夫が懈怠したこと

前記四の事実は、右条項の3、5号に該当する。

六  親権者の指定について

本件では父である被告はノンカイ難民キヤンプにおいて、3人の子を原告の許に残したまま、愛人とともにオーストラリアへ移住する途を選んだのであり、その後はいつさい音信不通である。3人の子は現在に至るまで、短期間○○町の婦人に預けられた以外は母である原告と生活を共にし、その監護教育を受けてきた。子どもたちは付近の公立小、中学校に通学しており、わが国社会に融け込みつつ元気に生育している。原告が吉村正人と事実上婚姻してからは、事実上の父子として睦み合つて生活している。

このような状況下においては、子の福祉の観点から当然原告が親権者として指定されるべく、ぞの他に選択の余地はない。

よつて請求の趣旨記載の判決を求める。

第二被告は公示送達による呼出を受けたが、本件口頭弁論期日に出頭しないし、答弁書その他の準備書面も提出しない。

第三証拠関係

本件記録中の書証目録、証人等目録のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本件訴訟についてわが国の裁判所が裁判権を有するか否かについてみるに、外国人間の離婚訴訟の国際的裁判管轄について被告が住所を有する国の裁判所に管轄権を認めるのを原則とし、被告の行方不明など特別の事情がある場合には補充的に原告が住所を有する国の裁判所にも管轄権を認めるのが相当である(最高裁判所昭和39年3月25日大法廷判決参照)ところ、本件については後記判示のとおり、被告が行方不明であるから特別の事情があるとみるべきであり、したがつて原告が住所を有するわが国の裁判所に管轄権を認めることができる。

二  次に本件の準拠法について検討する。

法例16条本文によれば、渉外離婚については、まず原因事実発生当時における夫の本国法によるべきものであるから、本件においては、ラオス人民民主共和国の離婚法によるべきことになる。ところで、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める甲第11号証の1ないし3によれば、同国の婚姻および離婚法は未整備であり、現在では問題が起こるとその都度裁判所又は行政部が協議してこれをきめていることが認められる。そうすると準拠すべき法律の内容が不明な場合に準ずるものとしてこれに代わるべき補充法ないし代用法を探究すべきところ婚姻や離婚は一般民衆の生活と法感覚に根ざしていて急激に変化するものとは考えられないこと、原告、被告とも革命後のラオスでの生活に耐えかねて脱出した事情も併せ考慮すると、本件においてはラオス旧民法を補充法ないし代用法とするのがもつとも条理にかない適切妥当な処理をなしうるものと考えられるのである。

また離婚に伴う未成年の子の親権者指定についても離婚の効果の問題として法例16条を適用すべきもので右に述べた離婚についての準拠法と同様である。

よつて、以下本件の離婚および親権者の指定についてはラオス旧民法によつてその許否および指定について判断することとする。

三  原告本人尋問の結果およびこれにより真正に成立したものと認める甲第9号証、第10号証の3、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める甲第1号証の1ないし4、第2号ないし第8号証、第10号証の12、第11号証の1ないし3、第12号ないし第14号証、第15号証の1、2を綜合すると、原告主張の請求原因事実すべてを認めることができこれに反する証拠はない。

以上の事実はラオス旧民法23条3号、5号に該当し、またこれはわが民法770条1項1号、2号に該当し、かつ包括的に同項5号に該当する。

また親権者の指定について検討するにラオス旧民法27条は、離婚判決において婚姻より生まれた未成年の子の監護および他方配偶者が子の必要費を支払すべき割合について決定する旨定めている。前記認定の事実からすれば原告を同法上の監護者すなわち日本法にいう親権者として指定するのがもつとも子の福祉にかなうものであることは明らかである。

四  よつて、原告の本訴請求はすべて理由があるのでいずれも正当として認容し訴訟費用の負担について民事訴訟法89条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 前川豪志)

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